やすらぎの川、みどりの丘

新潟県出身で北海道在住。自由な日々を求めて、毎日を生きる。妬まぬように、焦らぬように。

リアリストであれ。

私たちホモサピエンスが生み出した偉大な発明の一つは、建前だ。他の動物も簡単な嘘をつくことはできるが、非常に高度な嘘の技術、つまり建前を話せる動物はサピエンスしかいない。

建前には、光の部分と闇の部分が混在する。光の部分とは、それによって他人を操作できるということだ。上司のつまらないギャグに作り笑いをして場を盛り上げることは、典型と言えるだろう。これは、空気を読む能力が高いということであって、決して悪いことではない。(むしろ、素直で空気を読めない人間の方が悪いとされることも多いだろう。)

反面、建前の闇の部分とは、現実を歪めているということだ。先ほどの例で言うならば、上司のギャグは「つまらない」ものであるのに、その場では「面白い」ことになってしまっている。(もちろん、つまらない、面白いといったことには明確な定義がないのだが、ここでは黙認して欲しい。) こうした建前によって、上司の見る現実は歪められる。いわば、目に赤色か青色かのレンズを埋め込まれたような状態になる。歪んだ色眼鏡を通しては、本当の現実の色はわからない。この上司は今後、変色した現実を生きることでなんらかのギャップを感じることになるだろう。実際にこういう人は多くいる。これは上司にとって、大きな問題だ。

さらに問題なのは、この問題を作ったのは、非常に行儀の良い部下である。彼は決して悪いと思ってやっているのではない。ただ、彼は空気が読める男であったために、この問題を作ってしまったのだ。

さて、この小話では、いったい誰が悪いだろう?僕は、上司であると思う。部下のしていることは、良心から来たものであり、結果として問題の種になろうとも、それを咎める気にはならない。上司が建前のわからない、空気の読めない男であったから、現実を歪めて見るという問題が起きるのだ。もし僕が上司ならば(そして客観的になれるのならば)、このことに対して、自責の念を抱くだろう。そして、嘘を嘘だと見抜けるようになりたいと願う。他人の嘘を見抜き、他人のために嘘(建前)をつける、そんなリアリストになりたいと思うのだ。